気まぐれ日誌 〜 お散歩ライフ 〜

アルキニスト〜その日の景色

隅田川 橋めぐり

2017年11月24日(金)

隅田川の河口から岩淵水門まで23.5㎞を歩く。寄り道したり、道に迷ったりで、結局40㎞を超える距離になってしまった。

 

【1】築地大橋  7:00
2016年12月に開通予定だったが築地移転問題で未だ開通せず

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【2】勝ちどき橋  (重要文化財)7:05
橋の名は1905年(明治38年日露戦争で旅順陥落の勝利を記念して設置された「勝鬨の渡し」に由来する。中央部分は開閉式であるが現在は閉じたまま。最後に開いたのは昭和45年11月である。

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 かちどきわたしの碑

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 勝鬨橋が開閉していた当時の様子

 

◆左岸(上流から見て)月島を歩く 7:15

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月島の渡し跡

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【3】佃大橋  7:22

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 昭和39年に出来た橋。機能優先で飾り気がない。

 

佃島 散策

徳川家康が江戸入りの際、徳川家に御膳魚を納めさせるため、摂津国佃村の漁民を隅田川河口の州島に移住させ漁業を営ませた。漁民らが故郷の名に因んで「佃島」 と名付けたことによる。

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住吉神社

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 森稲荷神社

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佃煮屋 「丸久安政6年(1859)創業
雑魚を煮付けた漁師の保存食が江戸で評判になった。

 

【4】中央大橋  7:45

平成5年に完成したオシャレな橋。塔は日本の「兜」を意識したデザインと言われている。

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メッセンジャー
(彫刻家オシップ・ザッキン作)

隅田川はフランスのセーヌ川と1989年(平成元年)に友好河川を提携しており、当時のパリ市長であったジャック・シラクから贈られた。

 

中央大橋を渡り右岸を歩く。永代橋に向う。

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 【5】永代橋重要文化財)7:51
1698年(元禄11年)、江戸幕府5代将軍・徳川綱吉の50歳を祝し架橋された。当時大渡し(深川の渡し)のあった場所で、橋名は永代島という地名に因む。隅田川で四番目に架橋された。

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江戸時代の永代橋は橋脚が満潮時でも3m以上あり、たいそう見晴らしが良かったそうです。

 

現在の橋は関東大震災の復興計画で作られたもので清洲橋と対でデザインされた。

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永代橋を渡り、再び左岸へ。

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橋を渡ってすぐ近くのビルの前に赤穂浪士休息の地 碑がある。1702年(元禄15年)吉良上野介屋敷への討ち入り後、泉岳寺へ向かう途中この地で休息を取った。

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【6】隅田川大橋   7:58

隅田川唯一の二層式。機能優先で面白味なし。「永代君 と 清洲さんの間に入り、2人の恋仲を邪魔する無粋な大橋君」のイメージ。

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【7】清洲橋重要文化財)8:05
当時世界最美の橋と呼ばれたドイツのケルン市にあったヒンデンブルグ橋の大吊り橋をモデルにしている。本家ドイツの橋は戦争で消失している。

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清洲橋を越えると左岸は、隅田川につながる小名木川(運河)があり、運河にかかる萬年橋を渡ることになります。

萬年橋を渡ったあたりの隅田川テラスからは清洲橋が綺麗に見えることから「ケルンの眺め」と名前が付けられています。

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この辺りに松尾芭蕉が構えた芭蕉庵があったそうで、現在は芭蕉記念館が建っています。

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芭蕉銅像は隅田川上流(新大橋の方向)を向いています。芭蕉は新大橋が架橋されていく様子を見ていて句に詠んでいます。「初雪やかけかかりたる橋の上」

 

芭蕉記念館辺り隅田川テラスには芭蕉の詠んだ俳句のプレートがたくさん設置されています。

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 【8】新大橋 8:20
1693年(元禄6年)隅田川で三番目に架橋された。「大橋」とよばれた両国橋に続く橋として「新大橋」と名づけられた。広重の浮世絵がよく知られている。

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現在の新大橋は1977年(昭和52年)竣工したもの。オレンジ色の支柱がシンプルだが美しい。

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橋には、現在の橋になる前の鉄橋の新大橋のレリーフが設置されている。

 

◆新大橋を渡り、また右岸のテラスへ。

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壁のギャラリーが楽しい

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 首都高速6号線を通過。 8:30

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両国橋が見えてきた

 

【9】両国橋  8:38

1659年(万治2年)千住大橋に続いて隅田川に二番目に架橋された橋。幕府は防備のため千住大橋以外の架橋を認めなかったが、明暦の大火(1657年)の際、橋がなく逃げ場を失い、何万人もの町民が亡くなったことから架橋をするようになる。

名称は当初「大橋」と名付けられていた。武蔵国下総国と二つの国にまたがることから両国橋と呼ばれていた。1693年(元禄6年)に新大橋が架橋されると正式名称となった。 

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現在の両国橋は1932年竣工された。デザイン的にも凝ったものになっている。

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 欄干の球体は、花火玉とも地球をイメージしたものとも言われている。

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相撲の軍配をデザイン

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 照明も個性的

 

◆両国橋を渡り、より道。

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ももんじゃ、10代続く、しし鍋屋

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 回向院 明暦の大火、震災や空襲で亡くなられた方を思い手を合わせてきました。

 

◆両国橋から蔵前橋へ 左岸 東側を歩く。

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隅田川ギャラリーが続く

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 両国国技館の近くなので相撲関係のものが多い。

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 総武線隅田川橋梁


【10】蔵前橋    9:15

かつて蔵前国技館があり、高欄には力士などのレリーフが施されている。関東大震災の復興計画により現在の橋が架橋された。それ以前「富士見の渡し」と呼ばれていた渡船場があった。

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橋の西側に蔵前橋の名前の由来、江戸幕府の蔵跡の碑があります。

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 浅草御蔵跡

 

【11】厩橋   9:27
橋全体に馬を連想させるレリーフなどが施されている。橋名は西岸にあった「御厩河岸(蔵前の米蔵の荷駄馬用の厩)」にちなむ。

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塗装工事中でカバーがかかっていた。残念。

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厩橋から駒形橋へ

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屋形船やスカイツリーが綺麗に見える場所です。

 

【12】駒形橋  9:34

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ここには昔「駒形の渡し」があった。江戸の巷説に有名な、「君はいま 駒形あたり ほととぎす」の句は、この辺りの雰囲気を伝えています。

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 駒形の名は、浅草寺に属する駒形堂に由来する。この堂は天慶5年(942年)平公雅によって建立され円仁作の馬頭観音を祀るために建てられたのが起りであると伝わる。

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【13】吾妻橋. 9:42

創架は1774年(安永3年)、それまでは「竹町の渡し」と呼ばれた渡し舟があった場所であった。江戸時代に隅田川に架橋された5つの橋のうち最後の橋である。橋名は向島にある「吾嬬神社」へと通ずる道であったことから転じ「吾妻」となった説がある。

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吾妻橋から言問橋まで

両岸に隅田公園があり春には花見の名所。観る場所も多く両岸を散策した。

西側

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水上バス乗り場

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山の宿の渡し 跡

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戦災により亡くなられた方々の碑

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言問橋の縁石

大空襲の際、言問橋では、向島から逃げてきた人と、浅草から逃げてきた人がぶつかり、身動きがとれないまま1000人以上の人が亡くなったそうです。

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竹屋の渡し 跡

 

東側

隅田公園は、元は水戸徳川家の下屋敷だった。

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 隅田公園北側の牛島神社

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アサヒビール22階レストランからの眺め

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 隅田区役所の脇の勝海舟銅像

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【14】言問橋     初9:54  /   再10:46

言問と言う言葉は、在原業平が東国への旅の道中、隅田川で目にした鳥の名前を都鳥と聞いて詠んだ歌、「名にし負はばいざこと問はむ都鳥わが思ふ人はありやなしやと」に因む。ただし在原業平が実際に隅田川を渡った場所は、白鬚橋辺りである。

この橋の名前は、1871年明治4年)の創業の言問団子の主人が団子を売り出すにあたって、隅田川にちなむ在原業平をもちだして「言問団子と名づけ、人気の店となったことから。

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【15】桜橋 11:13
1985年に完成した隅田川唯一の歩行者専用橋で、両岸の隅田公園を結ぶ。形状は平面のX字形。

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向島 言問団子

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お店は桜橋 東側の少し上流にあります。由緒ある銘菓を頂きました。

 

【16】白髭橋    11:43
「橋場の渡し」と「白鬚の渡し」という渡船場があった場所であり、特に橋場の渡しは千住大橋が完成して主だった街道筋が移されるまでは
隅田川を渡る中心地であった。

伊勢物語での東下りの中で主人公が有名な「言問」の歌を詠んだのはこの渡しとされる。

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◆白鬚橋の西側、橋場は風光明媚な場所と知られ著名人の邸宅が軒を連ねていた。対鷗荘は三条実美の別邸。ここに明治天皇行幸された碑が立っている

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橋場不動尊

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◆白鬚橋を渡り、向島を散策。  f:id:tomo2200:20171126195640j:image

 

白鬚神社、白鬚橋の名前の由来となる神社

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法泉寺 

北斎に描かれたお寺、当時の賑いが伺える

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◆白鬚橋から水神大橋へ向かう。

隅田川東側にある東白鬚公園を歩き、隅田川神社に寄ります。隅田川神社に祀られている水神様が水神大橋の名前の由来。

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【17】水神大橋  12:30

創架は1989年(平成元年)、もともと「水神の渡し」という渡船場があった場所。

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 【18】千住汐入大橋    12:37
隅田川に架かる橋の中で2番目に新しく、2006年(平成18年)に開通。この場所には汐入の渡しが昭和41年まで運行していた。

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【19】千住大橋  12:57

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隅田川で一番歴史の古い橋。最初に架橋されたのは1594年(文禄3年)。現在より上流の「渡裸川の渡し(戸田の渡し)」とよばれ場所に架橋された。

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 松尾芭蕉が「奥の細道」始まりの句を詠んだといわれている場所(矢立初めの地)に建てられた記念碑が千住大橋公園内にあります。

足立区北千住と荒川区の南千住がそれぞれ自分らの区が矢立初めの地と主張していて南千住にも芭蕉モニュメントがたくさんあります。

 


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 橋戸稲荷神社

小さいながら歴史の古い神社 1490年創建

 

◆ 千住の魚河岸 足立市場でランチ

市場正門横にも芭蕉モニュメントがあります。

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千住大橋から先は隅田川テラスが整備されておらず、川から離れた道を歩かざる得ない場所が多い。尾竹橋には墨堤通りを歩いて向かった。

 途中、北斎が描いた武州千住のあった場所という案内があった。

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【20】尾竹橋  14:10
足立区側にあった「尾竹の渡し」の名に因む。茶屋に「おたけさん」という女性がいたことから

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 お化け煙突モニュメント

 

◆尾竹橋 到着が14:00過ぎ、日暮れまでに岩淵水門まで着けるか焦り始める。天気も悪くなり雨も降ってきた。ここで断念するか悩んだが、ここまで来たので、行けるとこまで行くことにした。

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下流を振り返る、スカイツリーも遠くなる。

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上流を見る、岩淵水門はまだ先だ。

 

【21】尾久橋  14:38

 尾久の歴史は古く、地名は室町時代からあるらしい。当時はもっと広域の場所を指す地名のようだそうです。

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【22】小台橋  14:56
「小台の渡し(尾久の渡し)」があり、江戸時代より江北・西新井・草加方面への交通の要所として賑わっていた。西新井大師や六阿弥陀のひとつである沼田の恵明寺に詣でる人々も多く利用した。

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◆小台橋から豊島橋へ向かう
首都高速中央環状線を越えたところで道を間違えて余分に歩くことになる。

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あらかわ遊園

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 首都高速中央環状線

 

【23】豊島橋    15:50
鎌倉時代から続くとされる「六阿弥陀の渡し」(豊島の渡し)があり、六阿弥陀詣の人々で賑わった

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西福寺  六阿弥陀詣の一番寺 

 

 【24】新豊橋  16:02
2007年(平成19年)に開通した橋。橋名は両岸の地名(足立区新田、北区豊島)にちなむ。

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【25】新田橋  16:08
昔、「野新田の渡し」(馬場の渡し)という農業渡船があった場所。

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【26】新神谷橋 16:17

昔、「宮堀の渡し(神谷の渡し)」があった場所で江戸期には、西新井大師への参拝客や荒川堤への花見客などを乗せていたそうです。

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 ◆新神谷橋から岩淵水門へ
新神谷橋を渡り、荒川と隅田川に挟まれた土手を水門に向かい歩いた。日は沈みかかっていた。

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右手側に荒川

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 左手側は隅田川

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富士山も見えました。見晴らしがいい場所です。

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【27】岩淵水門  16:40

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陽が沈む前にぎりぎりに岩淵水門に着き感動しました。左手は新河岸川(しんがしがわ)、右手が岩淵水門。隅田川の起点になります。

 

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岩淵水門を渡り更に先に進むと旧岩淵水門に着きます。旧水門は赤水門、新水門は青水門と呼ばれています。

16:51 赤門到着

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写真は露光の関係で明るく見えますが、肉眼では、かなり暗い。

 

旧水門は公園となっており、幾つかオブジェがありました。

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 草刈の碑   農民魂は先づ草刈から

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 ◆全ての工程を終え

 日没 17:00

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 赤羽駅 17:28

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帰りは30分